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「ナッジ」行動経済学を実社会に応用する【行動経済学14】

行動経済学を実社会に応用する「ナッジ」【行動経済学14】



行動経済学もひとまずの最終回ということで、今回は行動経済学を応用して、社会をもっともっと良い方向にしていこうということで取り組まれている「ナッジ」という考え方と取り組みを紹介したいと思います。




リバタリアン パターナリズム



まずは、いきなりこのナッジという話を始める前に、このナッジという考え方のベースになってくるもの、リバタリアン・パターナリズムというものをお伝えしたいと思います。


これって実は、政治態度として真逆の2つの言葉を重ねたものなんです。日本語に訳すと、リバタリアンが自由主義的な思想を持つ人、の意味を持ち、パターナリズムは家父長主義と訳されますが、要するに家の長たるものが他の親族を指導するスタイル、という意味で介入主義という意味をもちます。自由か、介入か。


なので、リバタリアン・パターナリズムというと、自由主義的介入主義という非常に変な言葉になります。リバタリアニズムという考え方が、人間には生来持って生まれた自由がある、自由意志に則って行動すべきだよねという思想。これに対してパターナリズムというのは、人々が良い方向に行くためには偉い人だったりいろんな権力であったりが介入すべきだ、という思想です。


リバタリアン・パターナリズムとは、基本は人間の自由意志を尊重するけれども、その背後でそっと介入をします、という中間的態度です。あなたには選択の自由がある。これを大前提としながら、しかしそこに、優しく介入をしてあげることを通じて、良い方向に導いてあげる。


そのイメージとしては、よくこの子象を押す母象の絵(上図)が使われるんですけども、子象は自分の意思で自由に行動してるようなんだけども、実はその後ろで母親がこっちに来なさいと優しく押してあげることを通じて、危険な方向に行かないで済む。これがリバタリアン・パターナリズムの考え方です。


日本語では上手に翻訳しまして、穏やか介入主義なんていう表現が使われたりもしますが、ともあれ、このリバタリアンという考え方は経済学のとっても重要な基本思想です。「見えざる手」に従いながら、私達の社会を良き方向に動かしていくんだということ。介入・介入・介入で自由意志を束縛していって、世の中良くなりましたねとは言えないでしょうと、みんなが自由に行動しているんだけど結果として全ての人の最大限の幸福が満たされるようにしましょう、というのが経済学の目標とするあるべき社会像です。


しかし、その自由意思に任せていては、気がついたら人々が悪い方向に行ってしまう可能性がある。そこで、行動経済学の知見を上手に使って、良い方向に導いてあげましょうというのがナッジという考え方なんです。


ナッジ



このナッジという言葉は英語の一般的な言葉です。

小突くとか、肘でつつくというような意味合いの言葉なんですけども、それから転じて現代では、軽く促してあげることをナッジといいます。


このナッジの考え方というのはまさにリバタリアン・パターナリズムなんですね。そうっと促してあげて、気がつかないうちに良い行動をとっている、このように働きかけましょうというもの。


典型例として知られているものが、例えばゴミ箱のデザイン。

ゴミ箱にちゃんとゴミを捨てることで周囲の景観が守られるわけですけれども、ついついゴミ箱以外のところに捨ててしまったりゴミ箱の周りが散らかってしまったりする中で、ちゃんとゴミを捨ててもらうために、どういうふうにナッジをするのか。そのためのアイディアはいろいろ考えられてるんですけど、例えばこのゴミ箱のところにバスケットボールのゴールの絵を書いてみると、そうするとそこを狙って入れようという意識が働くので、ゴミ箱に人々が注目を集めてちゃんと捨ててくれる。


他にも、クリスティアーノロナウドとメッシ、あなたはどっちがいい選手だと思いますか、みたいな二つのボックスを用意しておいて、そこで投票みたいな形でゴミを捨てさせるとか。人々に楽しんでもらいながら、気づかないうちに行動を促しているものっていうのが、ナッジなんです。


ナッジの使用例



他にもですね、ナッジがこういう形で使われているというのをいくつか紹介したいと思うんですけれども、典型例として知られるのはデフォルト効果という人間の心理効果を活用したものです。


デフォルト効果というのは、最初に初期設定となっているものを変えたくないという心理です。


デフォルト効果を用いたものとして、臓器提供の意思があります。あなたは臓器提供してもいいですかと聞くと、イエスに丸をつける人って少ないわけなんですけども、あなたが拒否する場合だけここに丸をしてくださいという形にすると、全然結果が変わってくる。これがまさにナッジの例なんですね。


デフォルトを変えてあげることによって、人々の行動を劇的に変えることができる。


デフォルト効果活用の例としては、例えば休業申請なんていうものも知られています。


夜勤は体に悪い働きかたです。でも、業務・業種によっては必要だったりするわけです。なので、夜勤をしていただいた翌日は、1日休暇を取っていただいてバイオリズムを整えてもらいたい。いわゆる健康経営ってやつですね。健康に配慮した経営をしていくと従業員が働きやすくなって、長く働いてくれて、パフォーマンスも上がるといいことづくめ。なんですけど、いつ休業を取ってもいいと選択できる中では、夜勤の翌日に休業を入れたくないっていう人が多かったんです。


そこで、デフォルトを変える。

夜勤の翌日は基本休日で、もしこの日に勤務したい場合は書類を出してくださいと、それによって休業日をずらすことができます。このようにデフォルトを変えてあげることによって、夜勤の翌日は休むというような生活リズムができて、従業員の健康度合いが大きく改善したなんていう例があったりします。


ナッジの使用例 その2



また、同じくこれも健康経営の例の一つなんですけれども、サラダバー無料なんていうのがあったりします。


このサラダバーの料金というのは結局のところ、その社食を利用した人の料金に乗せられるわけですから、同じなんです。同じなんですけども、サラダバーに関しては、いくら食べてもいいですよということにすれば、人間の当たり前の合理的な心理としまして、サラダバーめっちゃ食べた方がお得だよね、ということになる。


メインディッシュとしてお魚とかお肉を食べつつ、たっぷり野菜を食べるという形でバランスの良い栄養環境になる。こんな形で、経済的な仕組みをちょっと変えてあげることによって、無意識のうちに人々に良い行動をとらせるという形になるわけです。


「つくる過程」が大切



それでは、このナッジというものをどういうふうに皆さんデザインすればいいのかなんですけども、これについて非常にシンプルな答えがわかっています。みんなで一緒に考えようというやり方。


どうやったらいいのかを考えるところからナッジは始まっているんです。


もとより、この行動経済学という分野がどういうふうに発展してきたのかといえば、人々の協力のもとに、実験をしながら、人間ってこういう心理があったんだ、ということを解明してきた。人々の参加によって発展してきた学問なんです。行動経済学で物事を解決したいと思うのであれば、実験を通じてやればいいじゃないか。人々の参加を促して、その中で実践すればいいじゃないか、これが、行動経済学のとても重要な考え方の一つなんです。


というわけで、ナッジは作る過程を大切にする。


この作る過程で多くの市民の人々、多くの従業員の人に参加してもらって、どうしたらいいだろうかと、この考え議論する過程で、人々が社会づくりに加わっていくことになる。


気づきもある。そうだ、健康って大切なんだなとか、こういう社会問題を解決しなくちゃいけないな、とか。それも、一人一人の行動変容につながってくる。


このナッジをデザインしようというときには、何も高度な理論はいらない。こういう理論・研究にのっとって、こういうエビデンスに基づいて、こんな形にしようなんていうことを、しなくていい。気軽に、ごみ箱にバスケットゴール書いてみればいいんじゃないかとか、クリロナとメッシの投票させればいいんじゃないか。このように楽しんでやるというのが正解になってくるんです。


今日における行動経済学の問題



ただしです。このようにいろんな可能性を秘めているナッジという考え方、行動経済学の考え方なんですが、ここで最後にエンディングに向けてということではあるんですが、ちょっと概念的な問題そして、今日の行動経済学の過大評価の問題ということもちょっとここから指摘しておきたいと思います。


今日は、行動経済学がちょっとしたブームだということもあって、何でもかんでも行動経済学だということで、人間の心理を読み解いて、上手に人の心理を操って、うまいこと狙ったように行動させてやろうと、この力が過大評価されるようになっています。心理操作のたぐいを、何でもかんでもナッジと呼ぶようになっている。


なんならショッピングセンター行って値札を見て、1,980円です、2000円じゃなくて20円引くとぐっと安く感じるんですよ~なんていう昔からある店頭販売の基本もナッジ。


それって結局、マーケティングはなんでもかんでもナッジだということになる。組織マネジメント、お給料の払い方から何でもかんでもナッジになってしまうんです。定義上、そうなってしまうんです。


これゆえに、世の中の全てが全てナッジ、それって世の中の全てが全て行動経済学じゃないかというような、行動経済学の過大評価に繋がりかねない。


良き社会をデザインする精神が大切



もちろん、それでもちょっとした工夫を重ねて、社会を良くしようという、このマインドの部分は、素晴らしいことだと思います。


これはアメリカのタバコのパッケージなんですけど、タバコを吸うと子供が泣く、子供の健康に悪いよということで、こういう鮮烈な子供たちの写真なんかをタバコのパッケージに使うことで、タバコを吸うのをやめさせようとしている。まあその精神はわかる。


世の中の全部が全部、この調子でお節介に介入してくるようでは、疲れてしまいますね


私達が目にするもの目にするものが全てある種のナッジで作られていて、私達の自由意志というものが自由意志だと言いながらものすごくいろんなものにコントロールされている。気が付けば、買ったほうがよいとされるものばかりを買い、これをやりなさいと言われてることをやって生活しているだけで、それが本当に良い生活なのかと、いうことになるわけなんです。


この辺りがナッジを巡る概念的な問題で、結局私達の周り中のものが全部ナッジであったときに、それが本当にリバタリアニズムになるのか、自由意志に基づいて自由主義的な行動になるのか。この点は議論が重ねられているところです。


その精神は素晴らしい。良い社会をデザインするために、人間の心理を穏やかな介入で上手に誘導する。その志たるや良しなわけで、そこんところのまず気高い精神をしっかり腹落ちしたうえで、究極的にはバランスの問題になる。


そしてまた、いわば詐欺師の技術にもなってしまうものが行動経済学なので、行動経済学を学ぶということの原点であり、最後に強調しておきたいのは、結局そこにあるのは、何のために使うのか、その精神なのだということです。


***


一連の行動経済学の講義は、ひとまずここでおしまい。


ひとまず、行動経済学の名前で、学部の講義なんかで教えられることは、一通りお伝えしてきたつもりです。


こういったものが皆さんのまさにこれから先の未来を良くするための知恵として使ってもらえたなら本当にありがたく思っておりますので、ぜひこの行動経済学、皆さんの力にしてもらうとともに、引き続き、様々な学問領域を学んでいただいて、皆さんの明日を生きるための力に変えてもらいたいと願っています。


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